「『ラジオ』との出会い」
ラジオって、、、みなさん、身近な存在?
それとも、そんなでもないのかな??
1979年生まれの僕は、おそらく、ラジオには絶対一度は触れる最終世代的な世代かもね。
だって、、スマホもないポケベル世代。
そして中学生の思春期時代、、、
誰でも同じだと思うけど、親から少し距離を置いた自分の世界と時間を作りたくて、、、
自分の部屋に籠る時間が増える。
実際、、、インターネットはまだまだ一般的ではないし、パソコンが身近になったのはさらにもっと何年も後の話で、もちろんそんな高級品を買えるお金もない。
自分の部屋で過ごす時間に、ワクワク楽しい時間をくれたのが「ラジオ」。
DJの練習をして、中学生の頃に組んでたバンドの楽器(ベースやドラム)の練習をして、ダンスの練習して、そしてラジオを聞く。
もちろん全てを毎日やる訳じゃないけど、世の中に不満があった僕。笑
世の中というか、自分の生きる個人的な世界に納得のいかない不満があって、そこで出会った音楽、HipHopに夢中になっていた頃だった。
ラジオとの出会いなんて、大した事ではないんだろうけど、、、、
何だか素敵な事であったと、今改めて思い返すとそう感じる。
当時は本当に「テレビ」というメディアの勢力がものすごく強かった日本。
ラジオを聞いて、初めて聞くような音楽との出会いもたくさんあった。
「世界にはこんな音楽がたくさんあるんだ!」
「なんで日本ってこんなに小さい世界観しかないんだろう?」
「っていうか、ラジオってテレビと違って、素直に惹きこまれる。」
そして聞こえてくる素敵な声のパーソナリティーさん♪
どんな見た目のお姉さんなのかなぁ~? って思い描いて。笑
(今はポチっと検索すれば一発ですけど、昔はそうではなかったですからね。)
そしてその同じ時間に、同じ番組を聴いているリスナーさんからのメッセージやリクエスト♪
リアルタイムでそれに応えるパーソナリティーさん♪
ラジオの中のパーソナリティーさんと、ラジオの外のリスナーさんがリアルタイムで通じ合っていく。
お互いの「姿」は見えていないけど、人の繋がりまではいかなくとも、同じ場や感情・感性を共有するような・・・
・・・つまり、そこに生まれる「ラジオならではの世界」。
そんなメディアを中学の頃から聞き始め、20代の頃には生活の一部になっていましたね。
「ラジオを"やる側"になった経緯」
でも「もしも、また違う人生があるのであれば、その反対側にある配信する側のラジオのパーソナリティーの人生も送ってみたいな。」とも思ってた。つまり「夢」の一つ。
そんな中、一人息子を連れて東京からUターンをした茨城・大子町での生活が始まった2011年 震災が発生。
その後、町によって「緊急防災ラジオ」を兼ねたラジオ局「FMだいご」が創設。
自分の町にローカル局が誕生するってことにはテンションが上がりました。
さらにその数年後、「FMだいご」の運営母体が町から「NPO法人 まちの研究室」に委託されることに。
FMだいご ホームページ
NPO法人まちの研究室 ホームぺージ
実はそのNPOは町の活性化などに幅広く関わるNPOで、実は僕もそのメンバーの一人。
NPOのメンバーが「FMだいご」の局長となり、当時赤字運営だったFM局の中身の改変・番組構成の改変を行ってきた中で、局長から話をもらいついに僕も番組を持つことに!
とんとんと事が進み2017年4月、僕の初めてのラジオ番組「LEMSの里山彩りMusic!!」がスタートすることに・・・・・
そう、2017年と言えば「咲くカフェ」がオープンした年と同じ。
咲くカフェが7月オープンで4月に番組スタート。
カフェのオープン準備やその他もろもろ。初めて自分のお店を開き、スタッフへの指導から料理から何もかも。
そりゃあ大変でない訳がない、狂いそうなくらい大変な時期。
そんな時期に未経験の初めての自分の番組を一から作って、レコーディングまで行なう。
局長も気を遣ってくれて「番組は4月からでなく10月からにする?」との話ももらいましたが、「4月からやります。」と答えました。
何でその時期なのか?というと、たまたま局の番組改編の良いタイミングであったこと。
そして「今始めなかったら、なんだかんだで自分に言い訳作ってやらないで終わる。」と思ったし、「この最悪に大変な時期に始められたらその後はずっと続けていける。」と思い、自分に試練を課したのです。
これまでに何度も書いたり言ったりもしてますが、「自分がやれる事だけをやっていたら、それ以上の進化や変化は生まれ無い。」と思って生きてます。
「自分が出来ない。」と思う様な事を、やらざるを得ない状況で課すからこそ、そこを超える力が生まれる。まさにドラゴンボールの孫悟空の様に。(40代あるある。すぐドラゴンボールを例えに出す。笑)
そうして、2017年4月7日(金)18:00~ 第1回目。
ついに「LEMSの里山彩りMusic!!」が始まったのでした。
(※外部サイト「note」にて、番組のバックナンバーを聞くことが出来ます♪
「いつでも変わらない"やりがい"」
「LEMSの"声"を届ける。」
番組を始めた当初、番組の内容はそこまで深くは考えていなく、とにかく普段の「FMだいご」では流れないような心地よい音楽を届けて、さらにそんな音楽シーンの知識なども少し知ってもらいつつ・・・的な内容で始めました。
それと初回から始め現在も継続中のコーナー「FMだいご LEMSビートラボ (現在は「LEMSビートラボ」)」では、おそらく一般の人は人生の中で知ることは出来ないであろう、作曲や音作りのその瞬間のシーンをリアルな音声で届ける、僕の知っている限りあり得ない(おそらくアーティストさんは誰もが見せたくない部分だと思う)様な企画(笑) をオンエア―。
そうして当初は、お洒落ではあるけど割と当たり障りのない番組(「LEMSビートラボ」を除いて)であったのですが、その後何となく番組制作にも慣れてきて、生活や体調にも少し余裕も生まれてきて、それで咲くカフェの方の営業もそれなりに重ねてきて、また同時に「大子デパート」などの町の活性化の活動などの話もあるし、そういったことを踏まえた音楽以外の話を多めにするようにしました。
僕がこれまで経験して培ってきたもの、そこから今、大子で考える事、感じたこと、そして実行している事。
初期はその辺りの内容でしたかね。
それから、回を重ねるうちに意識していったのは、
「僕だから話すことが出来る」言葉を伝える。
これまで、大子生まれで10歳で東京に行き、ポケベル時代、フリーター経験、クラブ経験、CDデビュー、お金の権力が強い社会、結婚、出産、離婚、大子に息子と二人でUターン、町おこしの活動、カフェのオープンなどなど、、、。
そんな過程も踏み、大子にUターンして感じたことの一つは「僕が感じて考えていることを、見えていない人はたくさんいるであろう。」ということ。
だからこそ「僕でないと伝えられない事や、僕だからこそ持っている熱い感情をそのまま伝えていこうう。」と。
東京のメジャーのラジオ番組でさえも聞くことが出来ないような、「深くて良い話」を一つずつ伝えていこうと。
つまり
「LEMSの"言葉"を届ける。」
もちろん、いつもが真面目な話とかではなく、あくまでもカジュアルに。
咲くカフェに泊まりに来た初対面のゲストさんと様々な話をするようなイメージ。
「こんな事を言えば笑うんじゃないかな?」
「こんなことを言えば、何か心に伝わるんじゃないかな?」
「素の言動や感情を表現する。」
そしてその番組の中では、その時々の感情に合わせて素敵な音楽で彩りを添える。
そこはまさにDJの要素ですね。
今では毎回、話の内容、構成、それに合わせた選曲、その他もろもろ、、、毎週作る1本1本が、咲くカフェ並びにLEMSの一つの作品だと思ってます♪
「IBS 茨城放送に進出!!」
そんな番組を始めて3年が過ぎた2020年の夏のある日。
僕のカフェ「咲くカフェ」で、帰り際にわざわざ僕にご挨拶をしてくださったお客様の一人、、、、挨拶と共に少しお話をしたら、なんとその方は「IBS 茨城放送」のオーナーさん!!
・・・それからトントントンと・・・・。
なんとなんと、僕の番組「LEMSの里山彩りMusic!!」が2020年10月から「茨城放送」の毎週日曜 19時〜レギュラー化決定!!!
「茨城放送」とは、地方テレビ局を持たない茨城県では最大とも言えるメディアで、「FM」だけでなく「AM」、そして国内最大のラジオアプリ「radiko (ラジコ)」でも配信するラジオ局。
IBS 茨城放送 Website
まさかのこの僕の番組が、茨城放送に仲間入り♪
「FMだいご」で番組を持たせていただいたことも素晴らしい経験だったのですが、それがまさかの茨城放送に進出という僕も寝耳に水の出来事。
茨城放送に進出したことはとても大きな意味があると思っています。
それはただ単にリスナーさんの総数が一気に増えただけではなく、いわゆる「ローカル局」というよりも、関東圏の一般的なメディアの一つとも言える「茨城放送」で番組を持つという事、しかもそれを、一般企業というか一つのお店「大子の『咲くカフェ』が発信するラジオ番組」としてタイムテーブルに組み込まれるという事。
この咲くカフェが「咲くカフェ」の名前を全面に出して、メディアで番組を持つ!ってことよ!
ぶっちゃけ普通だったら、自分の商売の名前を出して番組をやるなら、スポンサー的にそれなりに「大きなお金」が必要な事でしょう。笑
そして、それはもちろん「咲くカフェ」だけでなく「大子」としても同じこと。
「大子」という町、そこにある「咲くカフェ」のリアルなあれこれを、茨城全域+more の人たちに、毎週毎週自由に伝えて(アピールして)いくことが出来るんです。
そんなカフェ、日本で他にあります??笑
しかも、トークも出演も、演出もレコーディングも制作も、全て咲くカフェ内で(LEMSが)やっちゃう訳ですから、製作費すら掛からない。
やりたいモノを、言いたいコトを、好きな様にスタートからフィニッシュまでやり切る事が出来るんです。
これはすごいことだと僕は思います。・・・うん。
「今後の展望」
こういう展開が起きてくると(2020年~2021年)、僕はすぐに下記の様なことを考えました。
● 1. 番組の質を上げてファン作り。
リスナーさんの幅が一気に拡がるので、まずは話の内容を「大子のみなさんへ」から「茨城のみなさんや、もっとたくさんの方へ」の方向へシフトチェンジ。
そして前述した通り、僕だからこそ話せる内容の話・感情・経験・それこそ咲くカフェの持つ技・スキルなど、この番組以外では聞くことが出来ないような「濃い~&良い」内容に仕立て上げ、ファン=単純な意味のファンではなく「この番組をリスペクトしてくれる人」を増やす。
● 2. 「大子」ブランドの発信から、イメージ戦略。
僕の2021のプランの一つに、「『大子』というブランドを格上げして、関東を代表する都市の一つに成り立たせていきたい。」という事があります。
そこでこのラジオ。最高でしょ♪
「咲くカフェ」のイメージがあってこその「大子」のイメージ。もちろん、この番組自体が「大子」から発せられているという事が、茨城全土に伝わる。
「『大子』ってどんだけ洒落たことと、どんだけ進んだことをやってる町なの!!?? 今まで袋田の滝しか知らんかったわ!」って思わせるのが、ほんの序章。笑
● 3. 出資者を取り込みながらの咲くカフェ的町作り。
そして、僕が自由に様々なことを発信し伝えていくことが出来る今、まず考えるのは、番組のスポンサーさん募集。
お洒落でリアルで内容の濃い番組 from 大子、の番組に絡むと絶対良い企業さんはたくさんあるはず。笑
と同時に、僕なりの茨城県北・大子の地域活性化プロジェクトの話も多く話すこの番組。
実は、僕の「咲くカフェタウン」構想に、スポンサーさんを巻き込みたいなとも思ってます。
※「咲くカフェタウン構想」← こちらの記事
というのも、「咲くカフェタウン」を作るのにあたり、当然、僕の時間や労力・そして咲くカフェのお金の範囲内でやっていくには、とても時間が掛かる壮大な計画です。
でももし、「咲くカフェタウン」のお洒落で新しい発想による町づくりのプロジェクトに賛同して、出資してくれるスポンサーさんがいれば、話は一気に変わります。
そしてそのスポンサー企業さんのイメージは激上がりするでしょう♪笑
(もちろん、企業さんだけでなく、県や町など公共のサポートでも有りかも。)
● 4. さらなる発展、番組の全国展開狙い。
そう、僕、中学時代からラジオはずっとたくさん聞いてきました。
つまり、たくさんのパーソナリティーさんやゲストさんの話も聞いてきました。
たくさんの良い番組に出会ってきて、感情も動かされてきました。
そんなことも踏まえつつ、、、
僕の番組では、その内容では「お洒落&濃い&良い」部分では、自分で言うのもなんですが、僕がこれまで聞いてきた数々のラジオ番組にはあり得なかった番組だと思ってます。
そして、この番組が「超ローカルの田舎町で制作&発信されている番組」ということで、番組の価値が上がることも有り、結果、様々に聞く人が増え、聞けば聞くほどに「拡がるであろう」と。。。。。もちろん全国にでも。
そう数年後に全国放送化、目指しましょう。
「夢はいつでも叶う」
それにしても、いつかの生まれ変わりの人生でやれたら良いなと思っていた事が、まさかのこの歳になってこの田舎町で叶い始めてくるというお話。
やっぱり、やりたい事とか自分が情熱を持てることは、どんどんやらないとダメというか、やらないともったいないなと思う。
大変でもやっていること自体でやりがいもあるし、大変だけど楽しいし、そこに情熱があるからこそどんどんと様々な物事が次に繋がっていく。
自分が抱いた「熱い」感情に素直に従ってというか、素直に表現して、やりたいコトをやっていく事がとても大切だと思うし、Uターンした大子町での生活も、まさにそれの積み重ねで、簡単に言うと「好きこそ物の上手なれ」。
今回の話は、ほんの一コマの話だけど、大子の若い子たちに伝えたいのは「思ったこと・叶えたい事は何でも出来る。」ということ。(ウォルト・ディズニーの言葉に被った感あるけど。笑)
あとそこに付け加えるとしたら、「全てを素直に受け入れて吸収する心」かな。
そんな気持ちがあれば、あとはどこに行って何をしようと、全てはうまくいく。
ということで、わたくしLEMS現在進行形、まだまだ行きますよぉ〜〜♪