『社会の中の自分のポジション』
こんにちは。大子町商工会青年部のLEMSこと櫻山です。
今年45歳なので、青年部卒業寸前の初登場となります。
主な話をする前に、僕がまさに今こうして茨城県の大子町にUターンして生活を送っている、経緯的な事を話しておいた方が良いかと思いますので、簡単に説明させていただきます。
元々は大子町生まれの大子育ちでしたが、父の病院の後を継ぐべく、医学部受験のために小学4年生の時、ちょうど10歳の頃ですね、東京の学校に転校しそれから20年間の東京生活を送りました。
初めはもちろん医者になろうとして進学校へ通っていたのですが、成長していく中で自分の中で医者はちょっと違うのではないか?と感じ始め、結局進んだ道は、医学ではなく、音楽の世界、、、DJとかクラブとかそれこそ「HipHop」の世界です。
10代の頃から夜な夜な渋谷や六本木のクラブに通い、DJ、Liveをしつつ、お酒を飲んで騒いだり、さらには曲を作りCDやレコードをリリースしたり提供したりなど、、、、ある意味ヤンチャな音楽活動をしていました。

そんな僕がUターンするきっかけとなったのは、当時の奥さんとの離婚です。
20代前半で結婚しその後子供が出来たものの、30歳の頃に離婚をし、当時幼稚園児であった息子を僕が引き取ることになったのです。
さすがに東京で小さい息子と二人暮らしの活動には限界があり、親や家族のいる大子へUターンしたのが今の生活の始まりです。

Uターンした僕の生活は、音楽活動を続けながらフリーターの様な生活をしていました。
ちなみにDJなどの現場活動以外の制作に関しては、ネットのデータのやり取りで全て出来てしまう時代です。
そんな時、僕の母が町おこしのために立ち上げていた小さな合同会社のメンバーに誘われ、その会社の手伝いを始めたのが青年部へ加入するきっかけでした。
先ほど話したように、僕は10歳の頃に町を離れてしまったので、町には知り合いもほとんどいなく、同年代の知人や友人を増やすためにも、まずは自分を知って覚えてもらおうという気持ちで加入しました。
そして出会った先輩部員の方々との交流。
まずは全体会議に参加できる時に参加することから始め、「絆感謝運動」のゴミ拾いやその後のBBQへの参加。そして「百段階段でキャンドルナイト」等の青年部主体のイベントではフライヤーデザインを担当させていただきながら、徐々に様々な場で部員さんたちと交流していくようになりました。
商工会は様々なジャンルの仕事をしている人たちの集まりです。
忘年会や新年会のようにお酒を飲んでいる様な集まりの場では、主にくだらないバカみたいな話が多いのですが、、、笑
交流を重ねるにつれ、それまで見え隠れしていた「仕事に対する考え」の様な、みんなに共通して言える様な物が見えてきました。
みんな「自分の仕事に誇りを持って生きている」ということ。
そして「人のために、社会のために、自分が生きている」という信念を持っているということ。
それはどういうことか?というと、、、
商店をやっている人は、ただ、お金をもらうために物を売っているのではなく「人の生活に必要な物を提供し、人が求めるものを仕入れてお渡ししている。」
ガス屋さんや水道屋さんは「もちろんライフラインという人の生活のためでもあるけど、もしも何かトラブルがあって困った時には、すぐに駆け付けて対応する助けとなる。」
建築・建設関係の人は「人が快適に満足して暮らせる家を提案し作ったり、人が便利に快適に暮らすための道路や建物を安心安全に作る。」
大子町の様に林業の盛んなところでは「森の環境を整え、また家を作るためのちゃんとした木材を届ける。」
挙げたら切りがないですが、
決して「お金を稼ぐために物やサービスを売っている訳ではなく、人のために、、、愛する地域や社会のために生きている」という事。

このことは都会に行き音楽の世界に入り、ただただヤンチャな生活をしてきた僕、そして若かりし僕には持っていなかった感覚でした。
都会のそういった生活をしていると、どうしても数字とかお金とかが前に出てきてしまいます。「仕事は生活のため」「欲しい物を買うために働く」といったような感覚の方が強かった。
「じゃあ僕はこの町で何をすればよい??」
それを今さら考えた30代。

でも、その答えは意外とすぐ見えてくるものでした。
「この町、大子に足りていなくて、自分が提供できるもの。」
=それは「デザイン」です。
デザインと言っても様々な物があります。
イベントのチラシの様な「グラフィックデザイン」や、ポロシャツの様な「プロダクトデザイン」、そしてホームページなどの「Webデザイン」、そしてお店の様な「空間デザイン」、さらに商店街の活性化に直結する「ブランディングデザイン」といったような。
様々なところで「町には凄い可能性が秘めているのに、それを活かしきれていない理由の一つが、デザイン。」であると、僕はUターンしてきてすぐに感じていた部分だったのです。
そのデザインの一つ一つを、自分で出来る限り手掛けていくことを始めました。

ここで少し話はそれますが、大子町商工会青年部のポロシャツのデザインも依頼していただき、町のイメージをアップデート出来るような、自分でも満足できる最高で素敵なデザインが出来たのですが、、、、なぜか大子町商工会の上の人たちのOKがでず、現在お蔵入りしております。笑
話を戻しますが、それからそういった様々なデザインに関することを進め、辿り着いたのが、全てのデザインを集約した形、現在の自分の会社であり仕事でもある=「咲くカフェ」です。

「咲くカフェ」とは簡単に言うと、自分の実家をリノベーションして、飲食である「カフェ」と宿泊の「ゲストルーム」を併設した施設です。
2017年にオープンし、翌年には「いばらきデザインセレクション」で最高賞である知事選定を受賞しました。
「地域にある物を活用し、交流人口を生み出し、地域の活性化につなげる巧みなデザイン」として高く評価されました。

咲くカフェはそれこそ「物」を売るのではなく、そこにある「空間や時間」を一緒に商品として売るカフェの文化を、町に広げたいという思いもあります。
「大子町の文化をアップデートし、今後やってくる地方時代に乗り遅れないため、そして町を刺激し、いずれは町を牽引していくような存在になる」ことを目指しています。
「咲く」という言葉には、町に新しい文化が花咲くと同時に、物事が前向きに変化する意味も込めています。
咲くカフェがオープンして7年。
まさかのコロナもあり、急激に加速した「地方」への視線。
それは皆さんもご存じの通りです。
そんなコロナの時期には青年部主催の事業で、タクシー事業者と連携し、各飲食店のテイクアウトメニューを各家庭にタクシーで届けるという「デリバリータクシー事業」を約4年間に渡り展開しました。
一飲食店の咲くカフェとしても参加し、青年部員としても運営にも携わり、また、そのフライヤーデザインも担当させていただきました。
そんなこんなで、ある意味大人になった自分は気が付きました。
僕がこの町にいる理由。
そしてこの町に自分が自分の足で立つ理由。
それに気付くきっかけを与えてくれたのが、それぞれ様々な職に就きながらも、それぞれが地元を愛し、自らの生き方に誇りを持つ地元青年部の先輩部員たちとの出会いです。
僕はこの町・大子に常に新しい物を生み出し、新しい風を起こし、町の文化をアップデートさせ、元気付けていくことが役割であり使命。
咲くカフェそして僕は、この町、そしてこの社会の中で「これが自分のポジションだ」と感じながら生きています。
今はこの田舎町で、最高に満喫し、充実し、常にワクワクしながら暮らしています♪
そして次は僕のこの経験や考えを、地元の若い人たちへ繋ごうと活動しています。
町の若い子たちが見る世界、考える価値観を拡げることが、本当に町の活性化に直結していると感じているからです。
これからの大子がどう変わっていくのか? 今後の「大子」の成長をお楽しみに!
ありがとうございました。
