「茨城へUターンしたきっかけ」
「Uターン後の生活」
「人と人」
そうして田舎暮らし・町の活性化への活動を始めると同時に、人とのつながりを作ることを意識したのは最重要な部分でした。
田舎町というのは、東京人にしてみたら信じられないくらい世間が狭く、人と人が近い。
それは当然良くもあり、悪くもあり。人との良いつながりを多く持つ人が強くなります。笑
この町が自分の生まれた町で、両親も住んでいる町だからと言っても、この町を離れて20年以上経って戻った今、どこへ行っても部外者の立ち位置であることには変わりは無かったです。なので、そこをまずは変えていく活動。
そもそも、僕の息子が幼稚園から小学校に入学するタイミングでUターンしたこともあり、まずは小学校での活動。保護者懇談会などの集まりや様々な活動には出来るだけ参加しながら、まずは同級生の保護者さんの輪に入るというか、まずは覚えてもらうことから。
基本フリーター生活だったのでw 学校行事にはほぼほぼ出席出来ました♪
そうしているうちに、息子が小学2年の時でしたかね(?)、小学校のPTA学年委員長を引き受けてくれないかとの話をいただきました。こういった役員って、当然みなさんやりたがらないのですが、お話を振ってくれたことに感謝しながら、あえて素直に引き受けました。
これにより、小学校のPTAにも少し足を突っ込むきっかけとなりました。
その後は、小学校以外でも結局は同じ活動です。
いかに自分を覚えてもらって、人とのつながりと自分の立ち位置を作っていくか?それを広げていくか?
町内会の「若連」という団体=お祭りなどを取り仕切る団体に参加するところから始まり、同じくその「鳴り物(=お囃子)」にも参加。同様に町内会の「子ども会」、子供の「サッカースポーツ少年団」、「商工会青年部」といった様に、参加できるところにはどんどん加入して顔を広めました。笑
そうしているうちに自然と(最初はどういうきっかけだったか思い出せませんが)、同じように町の活性化を考えて活動している「らっしゃい・でぇご隊」の小崎さんや、「NPO法人 まちの研究室」を立ち上げた笠井さん等とつながり、そこにも参加していき一緒に活動するようになり、今現在も「大子デパートプロジェクト」ならびに「NPO法人 まちの研究室」など様々なところで絶賛共演中でございます。
(大子デパートプロジェクトメンバー。 写真撮影:飯村ゆみ)
「自分という人が存在するスペースを広げる活動。」
人のつながりを増やす作業、ここまではUターンでもIターンでも誰でも必要な同じ作業かと思います。だって、良い人のつながりを多く持つ人が色んな意味で強いんですから。笑
で、ここからは僕の行なった次のステップ。
様々な団体や活動に参加しながら、ただ存在して覚えてもらって人のつながりを作るだけではなく、その中での自分の存在するスペースを広げていく活動。
つまり、僕がそれぞれの団体の中で、自分が持っている能力・技術などによって、自分だからこそやれる、担えることがあれば、それを自ら提案・引き受けて実績を作っていきました。
例を挙げると、フライヤー等の様々なデザイン。任せてもらえる案件から作り始め、そしてデザインが評価され、気が付けば次々と依頼をしていただける位に。今でも、商工会の「百段階段キャンドルナイト」、でぇご隊の「百円商店街」、飲み歩きイベント「だいごお酒のイロハ」などのデザインは毎回制作しています。
結果、町のイベントフライヤーやポロシャツデザインから、町内会のお祭り、スポーツ少年団の卒団ムービー制作、町コン、商店街の熨斗&包装紙デザインなど、主にデザインがメインですが、たまにDJ出演もありつつ、様々な部分で「LEMS (=櫻山)」の実績を作ってきました。
で、大切なのは「お金じゃない」。と思っています。
いずれも、ぶっちゃけ、お値段無料の物から、いずれもお値段安い仕事だと思います。(仕事というか活動。でも逆にそれがフリークリエイターとしての仕事なのだけれども。。。)
昔、誰かの言葉で「借りを作るのではなく、貸しを作れ。」というのが不思議と僕に影響していて、「確かにそうだ」と思いながらやってきた部分はありますかね。笑
でも同時に、それが人とのつながりを増やすというか。
すぐビジネス体制に入っちゃう人って、僕は好きになれないというのもあり。笑
何て言うんでしょう。。。
結局、自分のためだけにやっている「事」とか「人」ってダメなのかなという。
世の中の人がハッピーだったり、生活が潤ったり、なんか喜んでもらえるそんな事。そういったコトを提供することで、結局はそれが自分に返ってくると思っているし、やりがいも生まれるし、だからこそ大変な思いをしても続けられるし、また違った意味で自分のワンランク上のステップのた資質ともなる。
結局それを現代的に集約すると「ソーシャルビジネス」ということですがw
まぁでもそれが、よくある田舎のイメージの光景の、「大根沢山採れたから食べて~。」「ウヂの白菜もあまっでっから持ってって~。」みたいなところですよね。
でもその現代版であると言えばまさにそうで、この何年かで大子町のそこの領域に踏み入れることが出来てきたことは、僕なりに存在の在り方を達成出来てきたことかなと、このコラムを書きながら改めて実感しています。
「地方暮らしで苦労した事」
取材をしていただく中で、みなさん結構決まって質問される項目があります。
それが 「地方暮らしを初めて、苦労した事は?」ですね。
僕はいつも決まってこう言います。
「無いんですよね。笑」
でも一つ思うのは、今もそうですけど、こういった僕の活動があるから一番苦労したのは、僕に似て「超恥ずかしがり屋」で思春期の僕の息子かも。。。笑
まぁ僕自身の話で言うと、震災でも、田舎暮らしでも、人間関係でも、貯金が底をついても、特に苦労とは思っていなく、いつも「次」というか「明るい未来」のことを考えています。笑(こう書くとものすごく馬鹿な感じがしますけどw)
僕は結構自分のこれまでの人生を、要所要所で"操作"してきた事もあって、先の人生についても全く不安は持っていなく、、、僕はどこの場所に住んでも、どこでどんな状況で何の仕事をしようとも、何をしようとも「自分の居場所を作って、自分のセンスを使って生きていく」自信があります。笑
実際、その町に、その社会に「何が足りないか?」「何が求められているか?」「じゃあどうすればよいか?」そういった部分の見極めは出来るつもりでいます。
だから大子町にUターン後も、全く経験ゼロの状態から「宮田邸 咲くカフェ (2013~)」という一つの時代、そしてそれからの「咲くカフェ(2017~)」をスタートさせることが出来たんだと思います♪
そんな僕自身の性質だから、これまで「苦労」は無いと感じているのかも??笑
ただ、一つ本当に苦労と感じたことは、田舎暮らしの話とは少しずれますが、宮田邸なり咲くカフェなど様々なことをやるうえで、自らに過酷な試練を与えたことですかね。笑
ドラゴンボールのスーパーサイヤ人みたいにw ある限界を超えないと次のステップの自分には行けないと思っていて、常に自らに不可能なようなことを与えて、乗り越えまた与えてと繰り返してきました。笑
どうやって与えるかというと、宮田邸の話だと「開催することを告知」してしまう。
まだ何も決まっていないし、スタッフもいないし、準備も出来るかどうか分からない。そんな状況でも、言ってしまえば『やらざるを得ない』。
最終的には「なるようになるしかない!」といった境地になってました。笑
ある時の宮田邸の回は、いざオープンしたもののメニュー作りが間に合っていなく、「仮のメニューです。」と書いた紙でスタートしてました。笑
それに、やれる時を待ってたら、いつまで経ってもやれる時は来ない。結局やらないで終わっちゃう。それが一番楽だから。
「時間がない」という人は=そのための「時間を作っていない」人。
やろうと思うなら、やらないといけない。
結果はどうなっても、やったことでマイナスは無い。やらない後悔は絶対得たくはない。
そんな気持ちです。
苦労したのはそんな部分ですね。
でも本当ある時は、宮田邸の開催の準備が間に合わないし、やることも増えるし、お客さんも増えて期待度も上がってるし、でも全てに於いて時間も何もかも足りない。そんな状況で、本当に文字通り頭が痛くなりました。脳の奥の方が痛くなったんです。それからさらに、朝起きられないという現象が起きました。
朝起きようとする時に、ただでさえ寝ているときも宮田邸の夢なのに、起きて現実に戻って宮田邸の開催に関するすべての事がのしかかってくると思うと、脳がそれを自己防衛的に拒絶して起きない様にするというか。。。起きてやらなきゃいけない事が山積みなのに起きられない。
おそらく精神病の一種だったと思います。笑
だから田舎暮らしの大抵のことは、蚊に刺されたような位で何も苦労では無かったです。笑
結果そんな感じ。
「地方移住の課題。仕事より家問題。」
先日こんな経験をしました。
大子町に移り住んで働きたいという人がいて、すでに咲くカフェで働くことが決まっていました。その時に住む場所を探す際に、その方は自分でも家探しをしたのですが、近場で手頃な物件が見つからないということなのです。
僕も協力していくつか探してみたのですが、空き家は多いけど、規模が大きいので状態が良い家だと家賃もそれなりに高い。
アパートは古かったり、遠かったり、それなりの所はなぜか家賃が高い。
そして思ったのは、「家族向け」の住居はいくつもあって、アパート・マンションにしても夫婦+子供で暮らすくらいの物件は多く、さらに町の行政でも「子育て支援住宅」であったりと、若いファミリーウェルカム物件はたくさんあるのに、「単身向け」が圧倒的に少ないということ。
単身で定職について仕事メインの生活で、家は帰って風呂入って寝るくらいの簡単な場所でいいから欲しい。そんな声がやはり他からも聞こえてきています。
実家でないと単身では移り住みにくい。意外と様々な地方の町でもこの問題はあるのかも知れません。
それで実際、田舎には「仕事がない。」と言われてはいますけど、実際は真逆。
現代、どこもかしこも人出不足と言われている中、人口16,000人でこの高齢化社会の田舎町では超人材不足なのです。
働ける人はもうすでに働いている。
他に人がいない。
ぶっちゃけ僕が咲くカフェをオープンして思ったことは、
「お客さんを集めるより、スタッフを集める方が難しい。」
人手不足が深刻な飲食店業界を始め、看護師や介護士などの医療系ももちろんです。
様々な企業で人材を探しています。
そして今や、町外・県外・都心部への求人を始めているところも多いです。
でもそこで問題となるであろう、その「家問題」です。
咲くカフェの社員寮も考慮に入れた、空き家を使ったシェアハウスなんてあったら良いなぁなんて思いつつ、考えを練っています。笑
「地方移住希望者へのアドバイス」
1.全ての環境の変化。とにかく、何でも前向きに楽しむ!
2.人の殻を割って中に入る気持ちで!
3.人とのつながり、ご近所のつながり、全てのつながりが大切な力、一人では生きていけないと言っても良いくらい!
4.世間は狭い。それをマイナスに考えずにプラスに考える!というかそう人になる!
5.孤立した町では、インターネットは巧みに使えた方が良い!
【アドバイス解説編】
まず、田舎に移住したら当然全ての環境が変わる。
コンビニも歩いていけないし、スーパーも遠いし、まとめ買いするとなると自転車では厳しい。
でもそういった違いは当然の田舎暮らし。コンビニもスーパーも遠いけど、逆に近くには緑や山等の自然や初めて見るような、、毎日出会う新しい景色や出来事、人との出会いもがある。
それをまずは楽しまないと前に進まないですよね♪
逆にその分、当然インターネットは得意な方が良いです。
やはり様々な不便さを解消してくれるのはネット。スマホだけでなく、PCに強い方が後々、何かしら自らが動こうとするときに有利です。(この有利な部分の解説はまた違った話になるので省きます。)
で、まぁ単純に買い物でも、職場や友達とのデータのやり取りでも色々と。それと逆に田舎に住んでも世間の動向を仕入れるのにも当たり前に得意でならないといけませんね♪
そして、時代の流れと共に各SNSが地方でも広がっていますが、個人的感想ですが、都会に比べると、地方の方が「Instagram」や「Twitter」よりも、断然「Facebook」人口が多いです。
=つまり「地方に暮らすならFacebookをやった方が良い。」(逆に地方の世間から身を遠ざけるならやらない。笑)という単純な結論も出てきます。
そして同じような話の延長も含みつつ、田舎の世間はものすごく狭い。誰かと会話したとして、その人がどこか別の路線で別な知人とつながっている可能性が高い。というか、どこかで繋がっていると思った方が良いです。笑
「スーパーに買い物に行って、知ってる人に会わないことは無い。」
むしろ知ってる人どうのこうのの前に、スーパーの店員さんが自分がよく買う物を知っているといったような。笑
だから逆にそこを楽しめる人にならないと♪
そこで、コミュニケーションですね。挨拶や話をどんどんしちゃった方がいいです。
この町も特にそうですけど、よそ者に対して受け入れにくい体質がある町では、自らが町の人の殻を割って近くに寄っていくことによってこそ、ウェルカムに受け入れてくれる部分があると感じています。
町の人たち自らは「どうぞどうぞ」しないけど、踏みよって接してもらえると「実はウェルカムしますよ」=「知らない人は外だけど、知ってしまえば仲間。」というイメージを僕は持っています。
なので、まずはコミュニケーション取ってみましょう♪
恥ずかしがらずにどんどん切り込んで行けば大丈夫です!