「まずは・・・」
今回は僕が地方で活動し、地方を経験しているからこそ感じたリアルな話。
これは、かつで僕が「咲くカフェを作らないといけない!」という使命感を背負ったのと同じ様に、「都会から地方の社会へ戻った経験談」も一度本気で書いて伝えないといけない!という使命感を感じて。
ご存知の通り? 僕は大子町生まれで、10歳で東京・杉並区の公立小学校へ転校し、中学受験で吉祥寺の成蹊中学校に入学~同高校卒業。
その成蹊という学校は、大学(成蹊大学)も併設の由緒正しき超進学校であった学校で、成蹊大学には医学部が無いにも関わらず、同じクラスに医学部志望が11人という、、、お坊ちゃま、進学向き、何やら出来の良い学校であった。
ちなみにそんな僕も大学受験直前まで、クラスで12人目の医学部志望の生徒であった。笑
そんな高校を卒業し、どこに行ったかというといわゆる「音楽の道」を進み音楽関係の専門学校へ。
高校何年の時だったろう?
高校時代にずっと練習していたDJを、4歳上の兄が友達と原宿のクラブで開催していた(当時「パーティー」と言われた)クラブイベントで、オープン後すぐの時間であったが初DJ出演させてもらったのだ。
その時に感じた想いは、当時から周りの人にずっとこう言ってきた。
「僕の居場所は病院でなく、ここがオレの場所だ!」と。
それが、、、
大学受験の願書まで取ったのに寸前で受験を辞め、地元・大子で病院をやっている両親を失望させた経緯である。
そして音楽系専門学校に入り、深夜のクラブに通い、新宿~渋谷~六本木~二子玉川~渋谷と、、、拠点とするクラブを変えながら、日々、酒と音楽と人に溺れながら、DJ、Beatmaker、Live、Clubスタッフ、オーガナイザー(イベント主催者)として活動し、自分の音楽作品も全国リリースしながら活動し、結婚、子育て、離婚と経験してきた10代後半~20代~だった。そして渋谷で主催していたDJイベントを閉じる30代半ばまでクラブライフを送った。
ちなみに10代の時の収入源は日雇いアルバイト、18歳からクラブスタッフ、23歳で結婚し大戸屋バイト。(音楽収入は当時はCDが売れたので、CDをリリースした時にはまとまってぼちぼち。たまにいただくイベント出演料はお小遣い程度。)
また僕が地方の町にいる人間としてそれを外の人に伝えなければならない!と感じた訳です。
「地方のお店の昔と今」
地方で事業をやるという事って言っても、僕はそもそ地方では飲食関係のアルバイト経験から「咲くカフェ」と、そういった経験しかないので、「地方でカフェをやりたい!」「自分のお店を持ちたい!」「お店持てるかな?」etc...
限定的ではありますが、まずは軽めにそういう人向けの経験談。
僕がUターンして戻った2011年~2022年、大子町のお店は減っています。
新しいお店が次々と生まれ始めてきてはいるけれど、閉めるお店の数の方がまだ多いかな?
でもそれはネガティブな事ではないと思っていて、業態の世代交代が起きていると感じてます。
定食屋が閉まり、カフェが生まれる。
旅館が閉まり、ゲストハウスが生まれる
惣菜屋が閉まり、ベーカリーが生まれる。
商店が閉まり、雑貨屋が生まれる。
といったように。
広い視点で「町のリノベーションが始まっている」という印象。
昔の大子はある意味「都会的な売り方」だったんですよね。
昔は今の倍ほどの人口(しかも今より若い人がメイン)がいて、インターネットもないから、当たり前に人が歩いてて、必要な物を必要な店で買う。
雑な言い方をすれば、 生活に必要な物を並べておけば勝手に売れていく。
昔の大子の話を聞くと、東京で町を歩いてた時に感じたのと同じものを感じました。
物がたくさん並んで、人がたくさん歩いて、行く人行く人が勝手に手に取って買っていく。。。どうでも良い様な物まで買って(売れて)いく。。。
しかも僕が東京に行った頃って、まだまだインターネットは一般的ではなかったから余計に。
それから時は流れ、 物を置いておけば売れる時代は終わった。
でも地方の文化はなかなかアップグレード出来ない。
人口が減っていき、インターネットも出てきて、町を歩く人の数自体はさらに減る。
「人が来ないから、物が売れない」=閉店。
・・・ものすごく簡単にまとめた。
「地方でお店を始めたいなら・・・」
「地方でお店を始めたい!」そんな方に一番最初のアドバイスをするなら、、、
前述した話と同じ様だけど「歩いている人(町にいる人・来る人)が立ち寄るだけのお店」では難しい。だってさっきも書いたように、人口を相手にしていたら人が減ったら終わりだもん。
じゃあどうする?
「お客さんを呼べるお店・お店が目的地になるような店にすること。」
実はこの話の例えとして、実際に咲くカフェで起きたすごく良い例があって、、、、
咲くカフェ元スタッフの女の子が就職先を辞めて、結婚前に数か月間、地元・大子に帰省するから、その期間中に咲くカフェで「あること」を試してみたいと。
それが「モーニング」だったんです。
咲くカフェが通常オープンしていない朝の時間帯+定休日に、モーニング営業としてコーヒーやサンドイッチをイートイン&テイクアウトで提供する。というもの。
確かとある年の3月の1カ月間限定でやりました。
あれこれ準備して告知して、ドタバタながら開催した「咲くカフェモーニング」。
ぶっちゃけ、前半はダメでしたね。笑
僕は思ってたんですよ。
「歩いている人(モーニングの利用をしたいと思う一部の人)に寄ってもらおうと思っても、人口の総数がそもそも少ない場所で普通にやっても難しいかなぁ。」って。
そして月の後半。
いよいよ、その状況を見かねて僕が動きました。笑
「モーニング需要を持った人に寄ってもらうのでなく、”ここ”(咲くカフェモーニング)目的に来てもらわなきゃお客さんは来ないよ。"ここ"を目的地として作り上げるのが咲くカフェのやり方じゃん。」って。
そこで僕が仕掛けたのは「フレンチトーストモーニング」。
元々レギュラーメニューにある、咲くカフェの「フレンチトースト」を使って、この期間限定モーニングだけでしか食べられない、3種の味の限定フレンチトーストを提供するという事。
「キャラメルバナナアイス」「奥久慈りんご煮の無花果煮ソース」「ベーコンチェダーメープル」だったかな?いずれもフレンチトーストでね。
早速メニューを作り、写真を撮って告知しました。
そしたら、、、もう、分かりやすかったですね。笑
すぐさま連日忙しくなっちゃって、日によっては10名近い団体さんも来るほど!
僕もヘルプで付かないと営業が回らないくらい忙しくなっちゃって、僕は通常営業と併せて休みなしねw
フレンチトーストに漬け込むパンだって足りなくなっちゃって。
月の前半と後半で、マーケティング力の差が大きく見える出来事でした。
「地方で人を雇う難しさ」
そしていよいよ、今回のテーマの一つの重要な本題に入ります。
「地方で人を雇う」ということ。
この話には物凄くたくさんの要素があります。
1.人手確保の難しさ
2.この町にいる人
3.人が作るその町の文化
以下、順々に記していきます。
「人手確保の難しさ」
これは常に継続中の経験談です!
お客さんがたくさん来てくれるお店を作ったが、それに対応できるスタッフ数が確保できない。
この問題は、咲くカフェに限らず地方企業の課題であります。
この大子町にしても、飲食・医療系・製造系・土木系、、、すべての業種において人材不足の声を聞いています。
「仕事が無いから人がいない」というイメージを持たれるが、実情はその真逆。
「仕事の数に人の数が追い付かない。」
それはなぜか?
そもそも、仕事を出来る世代の人口自体が少ない。
そしてこの町の人口のほとんどが、、、
●すでに仕事を持っているし、変える気はない
●主婦
●子持ちでパート・アルバイト
●現場をリタイアした中~高齢者
●まだ高校生以下
おそらくほとんどの方が上記に全て当てはまるでしょう。
いわゆる僕の様な「フリーター」やその予備軍の存在がいないんです。
つまり、安定した社員さんのような人材を確保しようと思うと、とてもハードルが高い。
さらにこの次の議題「この町にいる人」にも関わってきますが、この町で生まれ育ったり、ある程度長く住み続けている人は、仕事を選ぶ際に就労条件を第一に考える人が多い。
「やりがい」とか「自分のキャリア」とか「自分が何をやりたい」とかそういったことではなく。(それはなぜか?この話を深く掘るともう1話コラムを書ける位長くなりそうなので、今は省略しておく。)
だから余計に、咲くカフェの様な飲食サービス業で、土日祝出勤、時間も不安定で、シーズンや曜日によっては仕事がすごくハードになって、、、っていう様な条件はまず省かれる。笑
平日9時~17時、12時~13時がお昼休憩、エアコンの効いた事務所でいつも決まった事務作業。の方が良いと思ってしまう訳ですね。
実に、咲くカフェの正社員5名のうち「元々大子の人」というのは僕一人のみで、それ以外の人はみんな町外から来た・来ている人たちです。
この町にいる人
結論を言います。
「この町にいる人」は「この町にいる人」なんですよ。
水戸でもないし、隣町の常陸太田でもない、「大子の人」なんです。
そこを理解しないと、人を雇って事業をするなんてことは難しい。
実は僕の中で、 ここの理解度を上げることが、これまでに一番苦労した部分の一つであったことは間違いないかと思います。
自分がこれまで経験して積み重ねてきた世の中の事情や、接してきたもの、常識、人、考えていた「当たり前」なんてものが全て崩壊します。
だから先ほど挙げた「就労条件を優先して事務作業を選ぶ」の話でも、「それはなぜか?」と問いも上げましたが、逆にそちら側の人に取ったら「それはなぜか?」と疑問を上げていること自体が「?」となるのではないかと。
考えている物・見ている物などが違うんですよね。
仕事でも考えてるもの・見てるものが違えば、時間の感覚、仕事への意識・価値観、全てが自分の触れてきた常識とは異なってきます。
「育ってきた環境が違うからぁ~」って根本まさにそうなんですね。
僕は咲くカフェの接客に関して、チェーン店の様な決まり決まったフレーズで、お客さんが100人来ても100人に対して同じ様にしか接しない、機械的な接客を好みませんでした。だからこそ「接客経験のある人よりも未経験の方が望ましい」とも言ってきました。
しかし最近、この部分を少し変えつついます。
この町では「チェーン店の当たり前の決まりきった接客」自体すら知らずに育った子たちも多いのだ。だからむしろ「世の中の一般的な物に少しでも触れていてくれた方が安心」と。
過去にはこんな子たちもいました。
いわゆる店員さんが「いらっしゃいませ~!こんにちは~。」って明るく出迎えるのを、そもそもそこから出来ない子。
何が出来ないって?
明るく接するとか、笑顔とかの前に、、、お客さんがいらっしゃっても、お客さんの前に出ていかないで陰に隠れる。ということもありました。
仕事を覚える覚えないの前に、そこからハードルが高いんです。
ハードルを越える前に、、、スタートラインに立つ前に、、、ユニフォームを、、靴下を着させるところから、、、なのです。
そういう世界なのです。
この茨城の北の端の県境で、山に囲まれある意味孤立したかのような地域で、人口15000人の高齢化率50%を迎える過疎地域。この地で代々と継がれてきた生活文化や考え方は良くも悪くも独自性のものとなってきているのでしょう。
前半に出した「物を並べておけば売れた時代」の話。
それからただ物を並べてても売れない時代になっても、昭和と変わらずただ物を並べて売ろうとして、人口が減り客が減り店を閉める。
それが先代の話でなく、現代の今なのだ。
そういう世界なのだ。
人が作るその町の文化
そういったこの町の文化・この町の人を理解する。
雇う側の者としてまずは「求めすぎない事」。
ぶっちゃけ数年前までの僕は求めすぎていた。
都会の実力社会の中で、周りには自分よりも出来るやつばかり、一匹狼でいかに自分の評価を得るか? いかに自分を認めてもらうか? 10代の頃からそんなことを常に考え、這いつくばって必死で生きてきた自分の常識や感覚が、ここでは全く違うという事に気付かされるまで。
それ以降の僕は、人が変わったように全ての人を受け入れるようになった。
自称「仏のレムさん」へとなったのだ。笑
タッタラ~
ともかく文化と人は今すぐどうのこうの変わる訳もないし、良い部分もたくさんある。
飲食店としても、ぶっちゃけこの町の人が都会のお店に行っても通用しないと思うが、逆に都会の人がこの町に来て同じように仕事をしても通用しないであろう。
お客さんとしてくるのはよその人だけではない。地元の人も数多く利用するからこそ、都会の接客やサービスを完璧にこなしても、地元のお客さんの居心地は良くないであろう。都会の人はまずそこを理解できないでしょう。
(※ホテルの様な主に外からのお客さんだけを相手にする様な業種は別かも知れないですが。)
だから僕は思ったんです。
この町の人たちがいてこの町の文化がある。
僕は咲くカフェを始めた時は、東京にあってもおかしくない様な最高のお店を、この町に作ろうと思ってこれまでやっていた。
でもなかなかうまくいかなくし、思い通り進まないし散々苦労して悩んだ。
1年1年経つ度に、それまで大変さを振り返り涙が出た。
でもある時、気が付いた。
そもそもこの町の人にはそれは出来ないし、例え出来たとしても、それは「東京のお店をここに持ってきただけ」にしかならない。
そうではなく、この町にある物、この町にいる人で作り上げてこそ他には真似できないオンリーワンの「大子の咲くカフェ」が生まれるんだと。
それから僕はいつもこんな例え話をする。
「もしも海外旅行で山奥の民族の村に行って、そこで立ち寄った屋台で、日本のファミレスみたいな人とサービスだったら引かない?」
「海外まで行かなくとも、日本の田舎の古民家で農家体験で民泊に来たら、そこの住人がホテルのボーイみたいな人でビシッとスーツ着て、「お荷物お運びします」って出てきたら引くでしょ? おばあちゃんの家庭料理を食べられると思ったら「舌平目のムニエルでございます」って?」
そういうことですよね。そういう環境に行ったらそんな「サービス」を求めませんよね。
日本の飲食店だって、地域が変われば人も変わり全てが変わる。
ここには決して素晴らしいサービスはない、決して優れた人たちでもない、でもこの町にはこの町なりの、この環境で育った人と空間があって、それ以外の物はない。
少しおかしな対応、十分ではない愛想、動きが遅い人、それこそまともな会話も出来ない人もある、障害を持った人がいたこともあった。満足にいかない部分はたくさんあるとは思うけど、それがこの町の文化、それこそその人物の個性でもあるのだ。
(もちろん咲くカフェとして、咲くカフェに関わってくれた人を成長させる教育は常に与えていきたい。)
そんな町の人と文化に触れることが、この大子の咲くカフェに来てできる何よりの体験の一つであるのだと思う。
そして一つ言っておくが、だからと言って働いてくれている人が手を抜いたり、いい加減に仕事をしていることは一切ない。
世の中も知らなかったり、何でも器用に学んで出来るような人ではないからこそ、それぞれみんながその時その時で必死に付いていこうと頑張って働いている。
そして都会から比べたらそれこそ最低賃金以下の給与であってもだ。
それは誰にも否定できない。
僕たちはみんなで、この町で出来る最高の咲くカフェを必死でやっている。
咲くカフェのサービスを不満に言う人は、いったい何を求めているのでしょう?
僕は必死でやってくれているスタッフさんを責める気はない。
失敗したらサポートし最善の解決策を提示するし、咲くカフェとして間違っていることをしていたら正し、その人が一歩改善・向上できる様な事を常に提示して伝える。
そしてそんな特定の個人を指差して非難するようなレビュー・コメントを僕は許さない。僕はスタッフさんを全力で守る。
「サービス」ってそもそも与えてもらうモノで、求めるものではないと僕自身は元々考えてはいるけれども、それはさておき、、、
田舎で素晴らしいサービスを求めること自体が間違っていると思うし、もしそれを求めるなら、日光あたりの高級ホテルのラウンジにでも行って1杯1700円のコーヒーでも注文してください。笑
ちゃんちゃん。