『夏空とお野菜』
序章
あまりにも強い日差しが照りつけていたあの日、当時7才の僕は田舎町の山の中にいた。ノースリーブのタンクトップの下には、すでに夏休みの間にくっきりと付いた日焼けの跡。その日焼け跡をまた更に濃くしようとするかのような快晴の青空と太陽。額も頬も汗が流れ、服の首元もぐっしょり濃く変色。
しかしその時、僕は思わずこう言った。
「冷たぁ~い!」
そう。 足元は八溝山から流れてくる、夏とは思えないようなキンキンの水の中にあったのだ。

試練の幕開け
セミの鳴き声で、夏の暑さが更に増す頃、夏休みに入った僕と幼稚園児の弟。僕たち二
人に、両親からこんな指令ともいう様な話があったのは、お父さんが仕事から帰ってくる前の、午後のいわゆる”おやつ時間”だった。
「8月に入ったら、おじいちゃんおばあちゃんの所に、二人で旅してみたらどう?」
「え、旅って??」
「二人だけで行ってみるの。」
ママはなんだかいつもより気持ち優しく、にこやかに言う。
すぐさま「そんなの無理だよぉ~」 と拒絶した僕に対して、
「おばあちゃんち行きたくないのぉ~??」
すると弟はワクワク楽しそうに
「お兄ちゃぁん。 おばあちゃんち一緒に行こうよっ!」。
・・・そんなことを三つ下の弟に言われちゃ断れっこない。。。。。 というか「結果そうなるであろう」ということを想像した上での発言 & 計画だったのでは? と心の中で秘かに思った。

旅立ち
8月の最初の日にその時はきた。弟にとっては「お出かけ旅行」。兄の僕にとっては「物凄い試練」だ。
僕の気持ちはまったく笑えない。だって僕は今まで地元の幼稚園から、当たり前のように公立小に入り登校は徒歩10分。時折り近所のスーパーや、それこそ電車に乗って吉祥寺、井の頭公園とか? 渋谷とか? 親に連れられて行ってきたさ。その位なら、今は小学2年生の僕だって1人で電車の切符を買って行けると思うよ。
「でもさ、なんで今回急におばあちゃんちなのぉ~~???!!」
だって、おばあちゃんちは、茨城県の北の端っこにある町。 大子町っていうところで、今までは車でたまに行ってた田舎町。そこに電車で行くのにも、何回も電車を乗り換えるんでしょ?? 駅の名前は「ひたちだいご」ってのは知ってる。でもどうやって行けばいいの??
って話。。。
一応事前に、当日の乗換駅と電車名と時間の書いたプリントを用意してはくれたど。。。
「僕、行けるのかな??」
そんな困惑も知ってか知らずか、お父さんとお母さんの両親揃って
「じゃ、頑張ってね!行ってらっしゃぁ~い♪」
とあっさり投げ出された、とある夏の日の朝。。。
「もしも本当に困った時には、これを開けてね。」と、どこかのテレビ番組で見たような非常時の包みもありつつ。。。
そうして、僕と弟の二人の旅が始まったのだった。そして、家を出て最初の井の頭線に乗った時点で、非常時の包みも開けちゃった。 だってテレビ番組じゃないんだもん。
中にはメモが一枚。
「本当に、こまった時にはここにでんわしてもらうように、でんしゃの人、お店の人、近くにいる人におねがいしてね。 Tel: 090-○○××-○○×× 」 と。
これは「お母さんの電話番号だ」とすぐに分かった。
「非常時の対応って、予想外にシンプルだ・・・。 まぁそれが間違いないけどね・・。」

大海原
電車を吉祥寺で乗り換え中央線で1本、最大の難関「東京駅」へ。
広い東京駅の中、たくさんの人、たくさんの電車、たくさんのお店、ただただ 【常磐線】 の文字を見上げて探して、突き進む。
・・・僕は必死だ。
「もし 【常磐線】 を見失ったら、僕たちの乗った小舟が海に漂流してしまう様なものだ!」その位の気持ちだった。
「お兄ちゃん、お腹空いた~」
「お兄ちゃん、疲れたよ~」
そんな時にいよいよ色々とうるさくなってくるのが弟というものだ。
「次の電車に乗る前にお弁当買うから、それまで待ってっ!」
そんなやり取りをしながらも、大海に漂流することなく無事に常磐線へ乗り込み、水戸駅で水郡線に乗り換え、常陸大子駅への道のりは進んでいった。
徐々に徐々に、ビルの景色が家になり、家の数が少なくなり畑になり、そして山の中に
入っていく。 川が見えると弟はちょっと興奮したように「川だよっ!」と声を弾ませる。ここまで来れば僕も素直に車窓の景色を楽しんでいた。
向かい側に座っていたおばちゃんが
「二人でお出かけ? 偉いね~。どごがら来たの?」 なんて話し掛けてきたりして。。。
ちょっと面倒だなと最初は思いつつも、照れながら何気ない会話を交わす時間。
「旅行って楽しいかも。」 なんて、ちょこっと思ってみたりした。

ゴール
袋田の駅を過ぎるといよいよ目的地の「常陸大子駅」だ。山と川の景色が一気に開け、町並みが見えてくる。
「あ、あれが大子だ!」
最後の川をゆっくりと超えると、そのまま電車はホームに滑り込んだ。僕たちは電車が
止まるのを待ち切れずに、ドアの前で開くのを待つ。そして開いた瞬間に我先へと走り出
す。まるで競馬の出走シーン。急いだからって何か変わるわけでもないけれど、子供って
そういう生き物なのだ。興奮と喜びと様々な感情を行動にぶつけているだけなのだ。
ホームの歩道橋を駆け上がり、駆け下り、ゴールの改札にトップで到着! そして改札を
抜けた正面に、その人は待っていた。
長い髪をなびかせ、お洒落な服を身にまとい、可愛い笑顔で手を振っている。小学生の僕でも憧れてしまう様な素敵なお姉さん。
「カオリ姉ちゃ――ん!!」
僕たち二人は叫びながら走り寄った。

カオリ姉ちゃん
カオリ姉ちゃんの車に乗り込み、おばあちゃんちへと向かう。 カオリ姉ちゃんとは、
もちろん実際の僕のお姉ちゃんではない。おばあちゃんちのある地域に住んでいて、家族ぐるみで仲の良いお姉ちゃん。僕がもっと小さい頃から・・・物心付いた頃から?
大子に来る時にはいつもカオリ姉ちゃんがいた。あの時のカオリ姉ちゃんは確か高校生
だったのかな? 制服を着ている時もあった。そして今は大学生? 今は大子に住んでない
けど、今回は夏休みを利用して、僕たちが来る時に合わせてくれたんだって。
「私免許取り立てだからしっかり座っててね! でも本当、よく二人だけで来られたね!すごいすごーい!電車、迷わないで乗れた? 大丈夫だった?」
「んまあ、大丈夫だったかな。。。」
大海原に漂流しない様に必死になっていたあの様子は、カオリ姉ちゃんには知られたくないと思った小さな男心であった。。。

サプライズ
車に乗って約15分。 その間は僕と弟、二人で争うように、駅で乗り換えした話、お弁当を買った話、トイレを我慢した話、車内で話し掛けてきたおばちゃんの話・・・・・道中の話をカオリ姉ちゃんに止まらない勢いで話していた。
そうしてる間に車は、緑が深い地域へと入っていき、いよいよゴールのおばあちゃんちへ到着だ!
田舎が似合う古ーい建物が見えてくると、その前でニコニコと手を振っているおじいちゃんとおばあちゃんが見えた。 車が止まるなり
「やったぁ~~!!」「おじいちゃーん、おばあちゃーーーん!」 と、駅に着いた時と同じように駆け出した僕たち、、、、、
その時!!
「えーーっ???!!!」
僕たち二人は、この旅で一番の大声を上げていた!
だって、だって、、、
迎えに出てきてくれた、おじいちゃん、おばあちゃんの後ろに見えたのは、、、、
「ママとパパ!!!」
「何でいるの???!!」
と混乱している僕たちに向かって、
「おかえり~~♪」
・・・二人ともにっこにこだ。
「二人とも頑張ったな!」
「中に入って麦茶でもどうぞぉ~♪」
・・・そんな難しい話ではない・・・つまりそういうことだったのだ。

古民家と子供と祖父母
おばあちゃんちは、物凄く古い昔の建物。茅葺屋根っていう草の屋根で、徳川斉昭っていう昔偉かった人が使った家なんだって。「徳川」っていう名前は僕も聞いたことがある。それにしてもママとパパが先回りしていたことには驚いたけど、一気に安堵した気分になったのは間違いなかった。
そして麦茶を飲む瞬間も惜しむくらいに、カオリ姉ちゃんに話した様な話を再び、溢れ
だす湧き水の様に止めどなく話す時間が流れた。
「それにしても、すごいセミの鳴き声だなぁ。都会とは比べ物にならないや。」
「おじいちゃんおばあちゃんも、前よりもちょっとシワが増えた感じ。」
ちょっと大人になった僕は、一歩余裕を持って田舎の夏というものを感じていた。
「じゃぁそろそろ、二人に夕飯用の野菜の収穫でもお願いしようかね~。」
と口火を切ったのは、おじいちゃんだった。
「クレソンって分がるか? 香りも良くて体にも良い野菜。 ただ、”香り”って言っても、カオリちゃんのことじゃねぇぞ。ハッハッ・・」
オヤジギャグとも言えないようなくだらない話は、子供は知らんぷりで流すのが得意だ。というか、それを上手に相手する術をまだ知らない。余計な部分は流して「うん、クレソン取りたーい!」 と、無邪気に乗っかってみせるのが子供ならではの出来る術である。
ワサビをたくさん育てているのは、知っていたけど「クレソン」なんていう野菜も育てていたことは初めて知った。おじいちゃんに連れられて、僕たち兄弟、そしてパパママ、
カオリ姉ちゃんみんなでクレソン畑に向かった。家を出て、山の道をさらに山の奥の方へ
と歩く。すぐに汗が流れ落ちる蒸し暑さ。「大子の夏は暑い。」その印象は昔から変わらない。
そうして見えてきたクレソン畑。
「あ、水が流れてる!」というか、水の中に育っていると言ったらよいのだろうか。この蒸し暑さの中、山の中にそよそよと流れる水辺に生えている青々しいクレソン畑は、まるでオアシスの様だった。

クレソン畑
「さぁて、じゃあ好きなだけ取って来てもらおうかね。さぁ靴脱いで。。。」
とおじいちゃんが言うのを横目に、本日何度目の出走シーンであろう?靴を脱いで駆け出す2頭。
”バシャっ、バシャっバシャっ!”
「気持ちいい~~~!!」
しかしその後間もなく、僕は思わずこう言った。
「冷たぁ~い!」
そう。 足元の水は八溝山から流れてくる、夏とは思えないようなキンキンの水だったのだ!
「足の感覚が変になっていくぅ~~」
まさかの「おじいちゃんサプライズ」に掛かった僕たちを見て、みんな楽しそうだった。
もちろん僕も弟もたくさん笑った。
笑顔に包まれた緑の中の時間。木々に囲まれ空は広くは無かったが、木々と青空の
コントラストは僕の記憶に大きく刻まれた。
収穫したクレソンを手に握り、帰りはパパとママに兄弟二人それぞれ、おんぶに抱っこしてもらいながら戻る道・・・当然のこと、襲ってくる睡魔。
「今日の夕飯は、特別なところに行く・・・ディズニ・・夢の様な・・・キラキラ・・・・美味しい・・・野菜・・・クレソンも・・・」
パパとママが僕たちに話し掛けていた言葉は、夢の中に溶けて消えていった。

夢の中
それからどれくらいの時間が経ったのだろう?
「起きて~、ほら、着いたよ~。さぁ夕ご飯食べよう♪」
との声に意識が戻り目を少しづつ開けた。
「ここはどこだろう?」
外はもう日が落ちて暗くなっているようだった。 そして徐々に目が覚め周囲を見渡す。
それを見た僕は、世の中のどんな俳優よりもごく自然に驚きをみせた。
「え!? ここどこ??」
明らかに例え方が悪かったとは思うが素直にこう呟いた。
「火の玉??」
空中に舞う無数の炎。そしてテーブルの上にも。 厳密にはキラキラした線でそれらは
吊るされていたのだ。
「・・・ロウソク? ・・ぅわぁぁ~~~きれい~~~!!!」
そこには数え切れないほどのキャンドルが天井から吊り下がり、テーブルの上や表のテラスにも無数のキャンドルが灯をともしていた。
「起きたぁ? ぐっすりだったね!」と、カオリ姉ちゃん。
(キャンドルも綺麗だけど、キャンドルの中で、さっきより少しおめかしをしたカオリ姉ちゃんもきれいだな。。。照)
「さぁ、もうすぐ美味しいご飯が来るからね♪」
「う~ん。。。」と、弟もいつの間にか起きたようだった。

灯りのレストラン
そこはキャンドルの灯りに照らされ、緑の装飾が施された素敵なレストランだったのだ。キャンドルが並べられたテラスにも客席があり、その一角で音楽のパフォーマンスが行われている。
心地よく奏でられる、歌に、、、Saxに、、、お酒を片手に思い思いの会話をし 【食事】 を楽しむ大人たち。
子供ながらにふと感じた。
「僕は食事っていうと、好きな物を食べることしか考えてなかったけど、オトナってこうやって色々なものを楽しんでいるんだなぁ。」
「ボーっとしてどうしたの? まだ眠い?」
「ううん、大丈夫。」
そんなことを思っている間に、料理が出てきた。
「えぇ~、野菜が多い・・、苦手な茄子もあるしぃ・・・。」
と思いつつも、おめかしバージョンのカオリ姉ちゃんの前で再び現れた小さな男心。
野菜嫌いで"カオリ"好きな僕を知っているママとパパが、そんな僕の一連の動作を横目で見守っているのを若干悔しく思う中、、、僕は格好をつけてそれらを無言で口に運んだ。
その時・・・「え!美味しいっ!」と思わず言ってしまった!
それを聞いた両親が驚いて目を大きくした以上に、僕自身まさかの「美味しい!」と思ったことにビックリした!その驚いた僕の様子を見たみんなに、また更に笑顔が生まれた。

夏空とお野菜
子供というものは成長する。
子供だけでなく大人も成長を続ける。
常に何かを吸収し、様々なコトを生み出していく。
僕が経験したあの夏の日は、数え切れないほどの成長を与えてくれた。
そして今も鮮明に記憶に残る大切な一日となった。
「これで兄ちゃんも、スーパーサイヤ人だね!」
と言い放ち、爆笑を生み出した弟の発言に、
「上手いこと言うな、、、。」と若干の嫉妬をしたのを覚えている。
僕はそんな夏の日記にこうタイトルを記した。
「夏空とお野菜」
そして今、こうして隣で寝ている息子たちを連れて、明日大子へと向かうのだ。
そう、、、
僕たちの新しい未来を作る、古くも新しい僕たちの住まいへと。

